2019.4/07
昨日も「まきび公園」に行ったのですが、今日は、日曜日。娘は知人と「紫雲出山」~で、家内と一緒に、多分最後の桜(夜は雨の予報)で、でも、それほど人出の多くない近場で…再び「まきび公園」
関西から来られたネットラジオの公開収録で、復興支援のLIVEをされていました。
今日も・・午後途中から曇り気味になってきましたが、花を楽しみましょう!
今日は、時間も余裕があるので~奥の方へ。
桜満開です!
ぐるりと遊歩道を回っていくと、八田神社
裏手からのお参りになりましたが。
こちらも境内の桜が満開
本当に、今年は桜を沢山、見ました。
【当社はもと天神様と言われ、江戸時代に現存した白石神社、八幡神社、御崎神社を大正元年9月に1村1社として合祀し、八田神社と改称した。ご祭神は白石神社の大己貴神、天穂日神、八幡神社の仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、相殿に少彦名命、猿田彦命、豊磐間戸神、櫛磐間戸神を祀っている。当社の命名の由来は真備町史によると鎮座地の箭田村は当時備中下道郡の八田村から矢田村に変わり、更に箭田村となったことが記されている。現在社名を「はった」と呼称されている経緯については八神様を祀っている事と、八社を合祀したからとの説がある。】
さくら、さくら!
さて、鳥居を出ていくと。。。
海棠桜�(ハナカイドウ : バラ科リンゴ属)~だそうです。
吉備公墓碑が・・・。
廟の様です。
さて、再びまきび公園の方へ
よい風景
吉備寺
大きな水仙にちっちゃな飛蝗?
さて、ぐるりと回って「たけのこ茶屋」で、お土産(竹の線維で編んだガーゼハンカチ)を買って!
まだ・・・時間が・・
少し、西に足を伸ばして・・・矢掛です、矢掛宿!
【江戸時代の山陽道(西国街道)は、幕府が直轄する街道でした。矢掛宿はその街道の十八番目の宿場町として、大名の参勤交代制度とともに栄えました。そして、現在の矢掛町は、当時の街並みの特徴が今でも健全な姿で残されている国内でも有数の町です。】
【この歴史ある財産の継承と矢掛町の文化産業として、古民家を「矢掛屋本館」「矢掛屋温浴別館」として再生することができました。】
町をあげてのプロジェクトで、古民家再生~INNとして、新装されたそうです!
まちかど交流館で、アイスで休憩!
そして、早めの夕食をってことで・・パンフレットに、「テンペ」料理!インドネシアの発酵食品です。
小鉢沢山の「テンペ・コロッケ」定食でした。土筆や菜の花も・・・美味しく頂戴しました、そして、おばちゃん~との会話も一杯!
「やかっぴー」矢掛町のゆるキャラのデザインの・・ドレッシングも
脇本陣・・・本陣跡と、脇本陣が揃っている処も少ないそうです。 |