2019.4/26
午後に、日本繊維状物質研究協会の理事会、は、いつもの三田の仏教伝道センタービル!
ただ、11時から東京で所用があって~早めに出発。でも、雨で風も強くって・・寒い!!!!
でも、結局、二時間くらいの余裕があったので・・・気付いてみれば初めての浜離宮恩賜庭園
浜離宮は何度も訪れているのですが、こおは、初めてですね!
【元は甲府藩下屋敷の庭園だったものが、徳川将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て東京都に下賜され、都立公園として開放された。】
大手門から入って・・・内堀沿いって処を観ていきます!水門の向こうは築地川だそうです。
此処は広いですね・・・・内堀広場などもあって
マップに「お花畑」は・・・菜の花・・
さて~牡丹園がありました。
結構、沢山咲いています!
牡丹は、結構・・・早く散りますものね!
色とりどり
先ほどの雨風で・・・少し散ったのかしら?
でも、結構、満開の牡丹園は・・久しぶり
さて…ぐるりと廻りました。
次へと進んでいきましょう!
神社・・・旧稲生神社とのことです。
【1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川綱豊が6代将軍(家宣)になったため甲府徳川家は絶家となり、将軍家の別邸とされた。】
甲府藩は元々、徳川家だったのですね。
さて水上バスの発着場・・・この辺りから外国人ツーリストのグループが沢山(アジアではなく、多分欧州?)
東京湾です!
将軍お上がり場も
海外からのお客様に・・・この見立てて山を築くとか、わかりますかしら?
ここは池に海水を呼び込むのですよね!
八重桜も・・もう、結構、散っていました。
それはそれで風情です。
横堀(潮入の池)です。
お伝い橋
海手の茶屋は、再建未だ
広いです~また、好天の時に、訪れたい!
そして・・庚申堂鴨場【鴨場 - 鴨猟のため作られた池。庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つがある。築造は、前者が1778年、後者が1791年。鴨場は池と林を3mほどの土手で囲い、土手には常
緑樹や竹笹を植え、鴨が安心して休息できるように外部と遮断されている。鴨場ではかつて猟が行われていた。その方法は、池に幾筋かの引堀(細い堀)を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら、稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引掘におびきよせ、機をみて土手の陰から網ですくいとるというものであった。】
ツグミたち・・沢山、何かを啄んでいます。
スマホだったので・・・この辺りのズームが限界
さぁ・・・まだまだ~広いですね、本当にこの恩賜公園は。
こちらにも八重桜
潮入の池~横堀沿いを
そして御亭山
見渡せます!
奥の意見は、大泉水
中島の御茶屋が見えています!
さて~一番、大手門から遠い方へ。
こちらにも八重桜
花が散って・・・ピンクの絨毯です。
次々といろんな情景が。
海も近く、ビルも近く。
さて、富士見山~一番西ですね
向こうは汐留川です。
大泉水~中島の御茶屋
ここもお伝い橋【潮入の池 - 海水を引き入れ、潮の干満(水位の上下に従って水門を開閉)による眺めの変化を楽しむことができるようになっている。東京湾からボラ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの魚が入り込んで生育している。江戸時代には釣りが行われていた。現在は禁止されている。池の岩や石にはベンケイガニ、フナムシ、フジツボがなどが見られる。】
そして、藤棚が・・・
曇り空の中でも・・・季節の情景
いい感じです。
【近年、かつて園内にあった複数の建築物の再建計画が進められており、2010年に「松の御茶屋」、2015年に「燕の御茶屋」の復元が完了した。2018年4月に「鷹の御茶屋」も完成した。復元予定があった「延遼館」は舛添要一都知事の辞任により未定となっており、「海手御茶屋」の復元が検討中されている。】
それらの復元の建物の方へ……
【浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。1729年(享保14年)5月、雄の象がベトナムから運ばれ、浜御殿の小屋で12年を過ごした。】
復元の建物も・・なかなか。
そして、最新の「鷹の御茶屋」
一瞬、本物の鷹かたと思いました。
ここにも藤
さて・・・これで、だんだん、大手門に向かうのですが…
こんな像もありました。
芳梅亭・・今日は、ご利用中
まだ、見ていなかった花木園
そこでも花々!
いろいろ。
「シラン」
もう、ほぼ回りましたかしら?
延遼館跡の辺り【慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。1889年(明治22年)
- 延遼館が取り壊される。】
さて、もう出口ですし・・そろそろ三田へ!
で、会議の後は、名古屋に向かえばよいだけなので、八重洲から高速バス!
新東名で・・足柄SA
そして、遠州森町PA
名古屋到着!! 首都高の渋滞、さらに、今夕から10連休開始で・・40分遅れでした。
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